映画の「損切り」は何故こんなにも批判されるのか?

インベスターZ、燃えてますね。


損切りのたとえとして映画の途中退室についてやんのかんの言う話ですが、これに限らずツイッター(現X)では、「映画を最後まで見ること」が異常なまでに神聖化されてる印象があります。特に顕著なのは「エンドクレジット最後まで見ろ」論で、別にスタッフ全部の名前を余すところまで見てる人間がいるわけでもないのに「余韻ガー」という理由だけでエンドクレジット中の退室に対する攻撃が行われます。でも実際問題、映画館での視聴じゃなくてアマプラでの視聴だったら普通飛ばすかそこで視聴終えるでしょ?何故映画館での視聴でだけはエンドクレジットまで見ろ、というか、エンドクレジットで立つなという話になるのか?

現状肯定バイアスによる説明

世間的には現状維持バイアスと呼ばれますが、わたしは現状肯定バイアスと呼んでいるものでこの現象を説明できると思います。映画館というものはとにかく途中退室が大変です。通路の隣の席に座っている人以外は、あの狭い通路とも呼べない隙間を他の客にごめんなさいしながら出ていく必要があり、気軽に出ていくなんてことはできません。これが「現状」です。そして、人はこの「現状」を肯定する方向に意見のバイアスがかかります。結果として「現状」では大変な途中退室という行為を憎み、エンドクレジットまでいることを「肯定」し、神聖化していくわけです。(また、途中退室する人間がいるとその瞬間前が見えないという自分都合もありますしね)

映画を最後まで視聴するコストは比較的マシな方という問題

また、映画鑑賞で拘束される時間は(ゲームやら他の趣味に比べれば)まだ全然短い方という特徴があります。だいたいの映画は2時間ぐらいですから、30分見てとてもつまらないという判断をしたとしても、あと1時間半耐えるだけといえばそれだけです。これがゲームだと、一応のクリアまであと数十時間ということがザラにあるわけで、とてもじゃないですが支払い切れない時間量になってしまうわけです。というわけで、映画鑑賞の場合は明らかにつまらないと思った場合でも、上記の途中退室の大変さという理由と併せて、そのまま座り続けて耐えながら鑑賞するという行動が合理的になってしまうわけです。これも「現状」というわけです。

有料配信だったらどうなの?

ああいう「つまらない映画でも最後まで見ろ。エンドクレジットまで見ろ」派に対して思うのは、じゃあインターネット経由の有料配信で視聴してるならどうなの?ということです。有料配信の場合は「途中退室」にかかるコストはほぼ0で、動画の停止ボタンを押すだけです。おまけに他の客に迷惑をかけることも無い。無駄にするのは動画視聴のために支払ったお金だけという状態です。これはまさによく言われるサンクコストの問題で、純粋に払ったお金とつまらない映画を最後までみることによって得られる経験と、残りの時間を天秤にかけるということになります。この場合は「1000円払ってみたものの、30分でクソつまらないと分かったし残り1時間半もあるから切っちゃったよ。損したぁ」という行動は別に変でもなんでもないでしょう。

とはいえ、「損切り」という行為は怖い

私は映画の「損切り」に関しては強く肯定派ですし、エンドクレジットまで見なきゃならないなんて全く思ってません。ですがこの「損切り」という行為はかなり注意してやらなければならないと思います。それは損切りという行為自体が自己陶酔を呼びがちだからです。わざわざ金を払って視聴権を得たのにそれを捨てた、それはある種「スカッとする」行為であるわけで、それ自体が快感を呼んでしまうわけです。その快感がさらなる損切りを呼んでしまう可能性には警戒しないと駄目でしょう。