何故スターオーシャン3が優れたSFであり続けるのか

最近流行りの異世界転生/転移ものやフルダイブVRゲームものを見るたび、やはりスターオーシャン3SO3)はSFとして揺るぎない特色を持った作品だったということを思い起こさせる。

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SO3のSF部分の根幹は「自分たちの住んでいた世界が、実はFD人と呼ばれる人間たちが作ったゲームであった」というものである。これだけだと今流行りのVRMMO的世界、あるいはオーバーロードのようなゲーム世界への転生と同じじゃないか、というよりマトリックスの設定そのものじゃないかと言いたくなるかもしれない。しかし、これらの作品とSO3の世界には根本的な違いがあり、それは主人公たちはあくまでゲーム世界の中の登場人物、言ってしまえばNPCであるということである。他の作品は地球人類というアイデンティティというか、存在の根っこを持っているのだが、SO3の場合はそのようなものは無く、あくまでゲーム世界のNPCでありAIでしかないのだ。(自分たちがNPCでしかなく、帰るべき肉体や世界など存在しないと言う絶望、このテーマをグレッグイーガンがビットプレイヤーで描いていたので是非読んで欲しい。)

要するにSO3という物語は、地に足のついた人類(=FD人)から見ればマトリックスではなくターミネーターで描かれたスカイネットの反乱の話なのである。エターナルスフィアというシミュレータ中のAIが進化を続けた結果、紋章術という分野で現実世界側を上回る可能性が出てきたため停止を目論んだが、AI側に反乱を起こされた…という話なのだ。こう考えていくとスフィア社の反応、そしてラスボスの心境も察するにあまりある。危険すぎるプログラムを停止しようと思ったらAIの生存権を主張されて停止は進まず、かと思えばエターナルスフィアの方から実体化したAIが襲ってくるという状況、普通に考えればエターナルスフィアを動かしているコンピュータを即座に爆破するべきだろう。

FD世界から見ればあくまでプログラムでしかないはずのSO3の主人公たちが実体化できたこと、エンディングではエターナルスフィアが破壊された描写が出てくるが最後に残っていた主人公たちはどういう存在になったのか、SF的解釈を考察するポイントは様々ある。他のゲーム転移ものとの設定の根本的違いを感じながら楽しんで欲しい。