藤井聡太が「創作超え」と言われる風潮について

まぁはっきり言って、偉業を達成するたびに「創作超え!」って毎回言われるの、いい加減寒くなってきましたよね。

ほんとに創作で藤井聡太を生み出せないのか?

まず、創作で藤井聡太のような八冠制覇キャラが出せないのは、単にそれを出しても面白い作品に仕上がらないからでしょう。主人公にせよライバルにせよ、人間的な葛藤や揺れ動きというのをいれないと物語の抑揚を生み出すエンジンになりえないからであり、完全無欠の最強系キャラというのはどうにもこうにも扱いに困るでしょうが。単に妄想するだけならアノス様のような最強キャラを産むことは多くの人間にできるでしょうが、それで面白い話を作るというのはまた別ベクトルに難しいのであって、普通は避ける道でしょう。(そしてなろうの「最強系」がいまいち面白さの信用が無い部分もここら辺であり…)(ぶっちゃけて言えば作者の力量が問われる)

ゲームとしての特性

実は将棋というゲームでは歴史的に極端に成績が偏っています。タイトル獲得数はいわゆる大名人に独占され、他の棋士は一桁あればかなり良い方という状態です。というか、「PvPであり」「1対1であり」「運が絡みにくい」という特性がそろっているゲームでは、成績の偏りというのは常に発生しうるものでしょう。何せPvPかつ1対1のゲームでは、基本的に相手より1%でも強ければ試合に勝つものであり、運が絡みにくいゲームの場合はそのブレが発生しにくくなります。現状、聡太は他の棋士より1.5倍ぐらい強いため、1回かぎりの勝負だとしてもそうそう負けないし、タイトル戦の番勝負で負ける可能性はかなり低いと言わざるを得ません。成績の極端な偏りというのは、プレイヤーに明白な実力差がある場合にはあっさり発生してしまうものなんです。
(まぁタイトル獲得数の偏りについては、タイトル戦のシステム上、防衛側はトーナメントを勝ち上がる必要が無いというのもあるんですが)


# それはそれとして聡太は強いしすごい

色々言いましたが、聡太が強いのは間違いないですし、八冠というも偉業中の偉業でしょう。ただ、それを「創作でもあり得ない」という褒め方(?)をするのはいい加減寒い、というのが本記事のまとめです。

(ただ、王座戦の最後の二局に関してはぶっちゃけ永瀬の勝ちだったのでなんだかなぁーというのはあります。インタビューで「もっと強くなるためには~」というようなことを言っていたのもそこら辺が原因でしょうし)