デスティニープラン考察

SEEDの新作放送ということでTLでデスティニープランやブルーコスモスと言ったワードが出てきて色々考察欲を刺激されたので駄文を書き連ねたい。で、書いてみたらデスティニープランだけで相当長くなったのでそれだけで。
(ちなみに私は種死半分エアプである。当時なーんか色々拒否反応が出てしまったので中途半端にしか見てない… )

デスティニープラン

遺伝子解析で各人の適正を測って将来を決定してやろうという計画(らしい)。後にめっちゃ類似の設定としてシビュラシステムが出てきたんですよね。で、公的機関の開発した巨大なシステムによって人間の将来が(半)強制的に決められる、という点は非常によく似てるんですが、デスティニープランが作中で否定されたのに対してシビュラシステムって案外受け入れられているんですよね。それはデスティニープランが遺伝子だけで決めようとするある種の浅薄さが原因かもしれませんし、シビュラシステム自体が混乱の中で導入されてしまった後の世界に住まわされてしまったが故の「住めば都」な状態かもしれません。しかし、今思うとこの手の「将来を強制的に決定するシステム」って創作内では必ず否定される運命にあるものなのに(我々は自由主義社会に生きている以上どうしてもね)サイコパスでは犯罪係数の話が主軸で、職業や結婚相手の選択やらの話ってあんまり出てこないんですよねえ。常森朱に監視官の素質があったのはシステムの言う通り間違いはなく、「こんな職業は私のやるべきことじゃないんや~」って朝ドラみたいに女性の自立と自由意志やが~って話にはならんので。

現実にやった場合に反感をかいそうなのは「遺伝子ですべてを決定」というところ。いくらなんでも遺伝子解析に期待寄せすぎじゃないの?って感じはしますよねえ。遺伝子解析をどう頑張ったとしても「運動能力が高い」「記憶能力に優れる」「計算能力が高そう」ぐらいが限界に思えるんですが、それで「うーん、お前は物理学者!」と言われて納得できるもんでしょうか? ここら辺はシビュラシステムのように監視システムと結びつけて幼年時代の観察を行いましたよというポーズを取らないと厳しいかと思います。

しかし気になるのは、逆にコーディネータ自体が能動的に遺伝子調整を行うことで親たち/世界が望む人間を作るためのシステムじゃないんかいということです。両親の遺伝子を残すことを優先するにしても、親たちが望んでない適性が言い渡されてしまった場合どうするんでしょ。反感は必至かと思います。逆に予見される適正をみながら遺伝子調整をプロアクティブに行う方向に進むと思いませんか?そうなった場合、一部の儲かる/キラキラした職業に適正を持つ人口だけが膨れ上がっていくことになり、社会のバランスをどう取るのか。

また、現実世界の日本だって技能実習生やら就職目的の留学生やらといった事実上の移民に押し付けている「下層」の仕事なんて山ほどあるんですが、そういう仕事に「適正」があると言われた人間ってそれを納得して受け入れられるものでしょうか?「お前は牡蠣の殻剝きの適正があるので死ぬまでやっててください。それに沿ったライフプランで生きてください」と上から押し付けられて受け入れられる人間はそうそういないでしょう。(もしかしたらデスティニープラン世界では必然的に共産主義にならざるを得ない可能性はあります。「適正」で選ばれた仕事が低賃金労働であることを受け入れるのはいくらなんでも厳しいでしょう)ただし、そうはいってもコーディネーターたちは遺伝子調整によりそういう下層労働職に適性を持つことを全力で避けようとするので、下層労働の需要を埋めるためには必然的にナチュラルから人員の徴用行うしかないんですかね?またブルーコスモスがキレそうな事案になりそう。


しかしながら、歳食ってみるとデスティニープランの発想を全否定するのもなぁと思うことは出てくるわけですよ。実際問題として適正の無い職業へとつながる進路選択をしてしまうと、それがいくら好きだと言っても成功が見えないわけでつらい思いをしてしまうのも確かです。現在の自由主義社会に進路を強制する仕組みが無いかというとそんなものもなく、学力テストやらスポーツやらを通じて、良い成績を残せる方=適正のある方へと進路を誘導されていくわけですよ。デスティニープランは運命論的な極端さはありますし、見方を変えると江戸時代のような血統重視の封建主義社会に見えてくるわけで、そりゃ反発心も出ますし反発した方が格好良さがあります。でも各人の幸福って(創作ではよく反発されるけど)典型的な仕事の成功とか家庭の成功がまずあってのことじゃない?と思うとある程度適正による指針を与えるのは、最悪を防ぐという意味では良いことじゃねと思います。(スーパーコーディネータのキラ・ヤマト君は何やっても成功できる強者であるがゆえの進路の「自由」があるが、一般人は学生時代までに触れたものに対する一時の好悪で進路選択して適正があることを祈るギャンブルせにゃならんので)